第16回 出典:
東京大学前期 2013年 物理 第2問
年に一度の東大入試の楽しみは、ただ解くだけでは終わりません。各予備校から発表される講評・分析を読んで、受験業界で一流とされる人間達が今年の東大入試をどう見たのかを吟味するのも、それぞれに違いがあって毎年とても楽しませてもらっています。
2013年度入試の後、例年通り各予備校の物理の講評を読んでいると、河合塾さんの分析に気になる一言。
振れの角が微小な場合を扱わせる問題(第2問)が出された。この種の問題は、実際の実験ではしばしば現れるが、従来、入試では、あまり扱われなかった問題である。
※河合塾 2013年度解答速報 東京大学 物理 分析より引用
こう聞いてしまっては、その「実際の実験」とやらでどのように現れてくるのか知りたくなるのが人の性。そういう訳で、今回も問題を用意しました。時間は気にせず、じっくり腰を据えて解いてみてください。
⇒問題(PDF)
⇒解答(PDF)
いかがだったでしょうか。元ネタがそもそもマニアックなだけに、問題の最後まで方向性を見失わずについて来るのは大変だったかもしれません。この問題の背景を、改めてお話しましょう。
安定的に存在するものを深く理解しようとするとき、我々はそこに多かれ少なかれ“刺激”を与えてやる必要があります。その“刺激”から何らかの“反応”が返ってきてこそ、我々はそれを分析することができるのです。例えば、その辺にあった適当な石について詳しく知りたいとします。この石がどれくらい固いのか実験するなら、いろんな強度で叩くという“刺激”を与え、どれくらい傷がつきやすいか・割れやすいかといった“反応”を見ることになりますね。どんな成分でできているのかを分析するなら、化学薬品に通すという“刺激”を与え、どういった化学“反応”を起こすのかを調べてみることになるでしょう。そもそも石を目で見るということだって、光を当てるという“刺激”に対しどのように反射するのかという“反応”を見ていることになる訳です。
さて、原子核や素粒子というものを考えてみましょう。これらは我々の身の周り、そこらじゅうに存在しているものですが、日常的にはおよそ及びもつかない世界の話です。原子核は基本的に大変安定で、我々が日常的に作れる程度の“刺激”では“反応”してくれないからです――そりゃあ、核分裂や核融合が身の周りで頻繁に起こっていたら大変な事ですよね。そんな原子核・素粒子レベルの“反応”をそれでも実験的に観測・理解しようと思ったら、それこそ原子核をぶっ壊すような大きな運動量を持った粒子を核にぶつけてやるくらいの“刺激”が必要そうだというのは、想像に難くない事ではないでしょうか。ここから主に発展していったのが、“高エネルギー物理学”と呼ばれる分野です。
粒子を加速する装置としては、大学入試ではサイクロトロンやベータトロンが頻出で有名です。『
名問の森』にも載っている問題ですが、
京都大学1997年第2問(PDF)を参考にしてみてください。こんな感じで粒子を光速に近いスピードまで加速し原子核にぶつけてやることで、その構造などを理解しようという訳です。しかし、そんなに小さなものがそんなに速く動くのですから、制御は容易ではありません。日常的なスケールでほんのちょっとのズレだったものが、あっという間に粒子をあさっての方向へ飛ばすのです。様々な工夫を凝らし、軌道を安定させなければなりません。そんな工夫のひとつとして今日の実験でも実用されているのが、今回解いた“強集束”の原理になります。
問題を振り返って、強い収束要素と発散要素を交互に並べると必ず収束要素が勝つ――というのが強集束の原理。レンズを扱った問題が高校ではあまり深く取り上げられないだけに、“凸レンズと凹レンズを交互に並べたらどうなるか”なんて割と誰でも考え付きそうなテーマなのに、恥ずかしながら自分もこの記事を書くまで見たことがありませんでした。問題集だと作図で済ませるような幾何光学を、面と向かって計算したことがある人も少数なのでは? さらにこれが荷電粒子の運動にも絡むとあって、大分欲張った問題になってしまいましたね。風呂敷を相当広げたので、Ⅱ以降にはもとの問題の面影も殆どありませんが、それでも2013年第2問がこの話題を背景として作られたと信じて疑わないのは、作問者がⅠ(2)で粒子 P が入射時の y 座標によらず通過する x 軸上の同じ点を、“焦点距離”を表す “ f ” とおいたニクい設定のためです。かなり高校物理を達観した人向けのコメントになりますが、もしここから幾何光学との関連を見出せと言うのなら、解いていて物理らしさをあまり感じない後半の図形的な計算にもそれなりの意義を感じられるかもしれません。
さて、問題としてはⅢ(3)が一番のオチだった訳ですが、他にも入試を考える上で差がつくポイントをいくつか盛り込みました。まずはもとの問題にもあったⅠ(1)の微小量の計算。早稲田大学をはじめ、難関大学の入試には微小量の近似計算がしょっちゅう出ますし、大学に入ってからも
テイラー展開をフル活用して微小量を無視しまくります。一般的な問題集だとなかなか勘を養うほどの演習を積むのは難しいですから、注意して下さい。その点、解答に載せた別解は近似という意味ではイメージがしやすいのですが、微妙な議論なのかあまり参考書で見かけることはありませんでした。模試で同様の議論に丸がついていたのを見たことがあるので大丈夫だとは思うのですが……。
次に、Ⅱのリード文の最後「レンズに入射する平行光線群は、光軸に斜めに入った場合でも平行に入った場合と同様に結像する」という事実。『
物理のエッセンス』では平然と取り扱われていますが、
慶應理工2013年第3問(PDF)に対する赤本の解説によれば、厳密には「高校の教育課程では(中略)証明が必要」とのこと。出題範囲に慎重な東大ではどうなるか分かりませんが、この慶應の問題のように普通に要求される知識かもしれませんので、押さえておいて損はないでしょう。知らなかった人は上の解答を参考にしてみてください。
最後に、Ⅲ(1)のように“数値を定性的に分析する”能力。物理の問題には、複雑なモデルの計算の本質を捉え単純な例と実質的に同じだと言い換えたり、複雑な式を大雑把に見て影響が強く出る部分以外を無視したりすることによって、必要な発想力や計算量を大きく軽減することができる場面が往々にしてあります。東大の2014年度入試はまさにこの好例と言ったところで、物理を武器にしていきたい人は是非ともモノにしておきたい力です。
概ね、高校数学の内容は17~18世紀頃、高校物理は18~19世紀頃に盛んだった研究が主となっています。物理学において20世紀とは、相対性理論や量子論が生まれ大きく成長してきた時期であり、いよいよ高校生の数学力では手に負えなくなるという訳です。そんな中、強集束原理は1949 年にギリシャの技師 N. Christofilos によって、また1952 年に米国 Brookheaven 国立研究所の E. D.Courant、M. S. Livingston、H.Snyder によってそれぞれ独立に発見されたもので、比較的最近の話題と言えます。東大入試の物理では他に、いずれ紹介予定の2011年第2問「コッククロフト・ウォルトン回路」が初めて人工的に原子核を変換させたのが1932年・ノーベル賞を受賞したのが1951年と20世紀の話題ですが、これも高エネルギー物理の話ですね。この分野に関することなら、今年から東大でもまた出題範囲となった原子物理の単元まで勉強すれば、粒子の加速から衝突のプロセスまで、現代物理と言えどやっていることの基礎の部分の多くは割と高校生にも理解できるはず。日本では目下高性能の加速器計画
ILC の誘致が行われていることもあり、今の物理好きな高校生にとって“高エネルギー”は比較的とっつきやすく、未来の明るい分野のひとつかもしれませんね。それではまた次回。
2014/05/30 石橋雄毅