勉強によって新たな自分自身を発見しようー「実践」と「探究」を重ねて見えてきたもの
2025.08.12
今回お話を伺ったのは、東京大学文学部インド哲学研究室に所属する乾 将崇(いぬい まさたか)さん。東大に推薦入試で合格し、入学後も学問に励むかたわら、古文の参考書を自作・配布するなどさまざまな活躍をされています。また、仏教を信仰し探究する仏教者としての一面もあり、大学の夏休みを使って高野山で修行をしたり、インドに留学してチベット仏教を学んだりするなど、積極的に活動されています。そのバイタリティと知的好奇心の源にはどのような思考があるのかーーー受験生時代の体験談から現在考えていることまで、さまざまテーマについてお話を伺うことができました。
受験生時代について
受験生時代、意識していたこと・大切にしていた考え方があれば教えてください。
私は推薦入試で入学したため、東大の一般入試の受験生が経験することとは少しばかり違う受験生経験をしました。とはいえ、同時に、東大の一般入試を受けるために準備もしてきましたので、高校時代は一般的な「受験生」の生活を送っていたと思います。その経験から得たことをお話したいと思います。しかし、受験には諸相があり、一般化できないと思いますので、今から述べることは、参考程度のお話ということにさせてください。
まず、東大に合格するためには、二つの力が必要だと感じました。一つは、「各科目の基本的な内容を理解し、定着させる力」。もう一つは、「東大入試の形式に合わせて学んだことを発揮する力」。
後者は、まさに「私はいま、東大の対策をしているんだ!」という実感を持ちやすい部分であり、モチベーションを高く保ちやすいところだと思います。その一方で、前者は、どの大学を目指すうえでも必要になることですし、「つまらない」と感じてしまいがちな部分ではないかと思います。私も、受験生のとき、基礎的な勉強をせず、東大の過去問ばかりを楽しんで解いていました。しかし、「各科目の基本的な内容を理解し、定着させる力」がなければ、思わぬところでつまずくことを発見しました。自分の受験時代の反省として、基礎的なことの理解の重要性をまず強調させていただきたいと思います。
私は、受験生時代は根性というか、パワーで勉強していたところはありました。結局どんな人でも、最後はその部分で乗り切ることになりますよね。もちろん中には余裕で東大受かりましたっていう人もいるんでしょうけど。
その精神性は、私の名前をつけてくれたかなり高齢の名付け親から受け継いだものです。私の名付け親は旧制中学校に通っていました。旧制中学校というのは今でいう中学高校にあたる5年制の教育機関で、入試の内容が高度だったこともあって入学が非常に難しかったんですね。私の名付け親は普通の小学校から旧制中学に進学したんですけど、彼は英語を勉強するにあたって、辞書を1冊丸ごと暗記したんです。戦前のことで、田舎の出身だったから、参考書も塾もなくて、環境的には全く恵まれていなかった。
でも彼は、「あるのは辞書だけだから、覚えるしかなかった」と言うんです。しかも、覚え終わったページは破くんですよ。「もう見ないから」って。テクニックとか知識の取捨選択とかじゃなくて、「とにかく全部やる。やりきる」っていう覚悟と、ものすごい原始的な根性論なんですよね。
私はそういった話を聞いたとき素直に感動しました。そうなりたいと感じました。そもそも今は、戦前、戦中と比べたら、はるかに恵まれた環境で勉強しているわけなんです。なので、それ以上の知的な成長が期待できるのではないかと思います。インターネットが普及していることによって情報も格段に手に入りやすくなっていますし。
あとは、実際に東大生になったつもりで勉強するというのもやっていました。まだ高校生ではあるけれども、「東大生になったつもり」で物事を考えたり、行動を選択したりするんです。たとえば、定期試験への向き合い方。「東大生であれば、高校の定期試験でどんな結果を残すだろうか。…当然トップクラスの点数を取るはずだ。だから、現状に甘んじることなく、上を目指して勉強しなければならない。」というように考え、行動していました。
というのも、私は中学生の頃、防衛大学校に行きたいと思っていて、そのことを名付け親に伝えたんですよ。そうしたら、「じゃあ今から防大生になったつもりで振る舞えばいいよ」と言われたんです。「自分は防大生だ」と思い込めば、防大生にふさわしい行動をするようになるだろう、と。それと同じことです。皆さんもぜひ「自称東大生」になってみてください(笑)。

受験生時代に実践していたこだわりの学習法を教えてください。
私は、もともと英語が嫌いでしたし、苦手でした。実際に、中学1年の時は学年でも最下位に近い状況でした。しかし、中学2年生の時、お世話になっていた尊敬する書道の先生に、「英語を勉強しないといけない」と諭され、英語の勉強に向き合おうと決心しました。
どのように勉強したかというと、いたってシンプルで、教科書をすべて丸暗記しました。教科書にある文章はもちろん、その和訳も頭に入れ、文法的な解説、構文の取り方、単語なども含めて丸暗記しました。また、毎回の授業でリスニングの問題が5題ずつ扱われていたのですが、放課後にそのスクリプトの単語の意味を調べ、それも全部暗記しました。もちろん、はじめは頭に入れるまでに膨大な時間がかかっていましたが、1,2年努力を継続するうちに、5行くらいの英文であれば、3回読むくらいで全部覚えられるようになってきました。
もともとは苦手で嫌いな英語でしたが、ひたすら英語の勉強に向き合い、困難を乗り越えた結果、最終的には英語が好きになりました。英語学習への「愛」が芽生えたといっていいほどに、好きになることができたんです。このことは、私にとって、英語そのもののスキル以上に、大きな学びになりました。苦手なことや困難なことであったとしても、好きになるチャンスはあるのだと。むしろ、困難があるからこそ、その困難を乗り越えたときには、深い愛に変わるのだと、学ばされたと思います。
「いや、教科書を全部暗記するなんて馬鹿げている」と思う人もいるでしょう。私もそうは思うけれども、文法や単語の勉強をコツコツしてこなかった私のような人間には勉強のやり方が皆目わからず、丸暗記の道しか残されていなかったのです。そして、「スマートにやろう」というのはダサいなと思ったんです。これはもう感性の問題ですね。先ほど、私の名付け親が「辞書を最初から最後まで丸暗記する」というクレイジーなやり方で英語を勉強していた話をしたと思うんですけど、それを私はかっこいいと思ったんです。
でも、別にそうしなければならないということはないと思います。自分に合った勉強法を選ぶことが重要だと感じます。私がこの勉強法を実践することができたのはおそらく、もともと読書することが苦ではなかったからです。だから、もしもアニメが好きな人ならば、歴史アニメを見ることで歴史の基本的な流れを追うこともできます。
また、私の場合には、「設問において本質的に問われていること」を考える習慣が自然とついていたのがよかったと思います。私の出身高校では、定期試験前に対策プリントを作る人やヤマをはる人たちがいたんですね。私もあるとき自作の対策プリントを作ったのですが、試験に出る問題を当てるには、出題者が何を問いたいのかをしっかり理解していないといけない。このように出題者の気持ちを考えていたことが、問題の本質を理解するいい訓練になったかなと思うんです。出題者は本質的には何を問いたいのか?ということは、入試においてもよく考えなければならないと感じます。
思うに、間違いにも許容できる間違いと許容できない間違いがあって、それを把握するのはとても大事なことです。どのミスが本質的で、どのミスが本質的ではないのかというのは、出題者の作問意図によって異なる。それを考える習慣をつけておくと、普段勉強するときから「どのポイントだけは間違えてはいけないのか?」「自分の回答は模範解答とは少し違うけれど、これはどの程度減点されるんだろうか?」ということがわかるようになりますよね。このことが、本質を押さえた勉強につながると思います。
反省している勉強法や、今受験勉強をやり直すなら変えたいことはありますか?
私は本格的に社会の勉強を始めるのがかなり遅くなってしまったので、その点は反省しています。
社会の勉強開始が遅くなってしまうのには理由がありました。まず、最初のうちは中学時代の貯金である程度なんとかなってしまうこともあって、勉強しなくても大丈夫だろうと思ってしまいました。さらに、その後も、定期試験前に詰め込めば点数は取れてしまう。定期試験の後に全てを忘れてしまう。そのうえ、高2までは模試の科目が数国英の三科目しかないことが多いので、社会よりもこれら三科目に力を入れることになりがちでした。このような理由でどうしても社会の勉強開始は遅くなってしまうことが多いんですけど、それでは間に合わなかったです。
結局私が本格的に社会の勉強を始めたのは高2になってからだったのですが、そのせいで高3のときは結構苦労しました。これは良くなかったですね。苦手科目は1つでも少ない方がいいんです、その分他教科に回せる時間が増えるから。だから、もし今受験勉強をやり直すとしたら、社会の勉強を早くから始めますね。社会の教科書を読むのを趣味にするということが早い時期にできていれば全然違っただろうと思います。
受験勉強を通して得られた“学び”が大学やその後にどう生きていますか?
まず国語に関しては、文献を読んだりレポートを書いたりする際に、やはり国語力が必要になります。単に「日本語を話せる」というレベルではなくて、論理的に文章を読み解く力、論理的に日本語を組み立てる力が求められるわけです。
英語に関しても、多くの科目において英語の論文を参照する機会はあるし、また前期課程においては、英語は重要性の高い科目です。世界史の知識も必須で、文系の授業についていくためにはむしろ「知っていないと困る」というレベルです。前期課程にある国際法関係論とか哲学史概説みたいな授業、すなわち各学問の概説レベルの授業においても、ある程度の世界史の知識は前提とされているところはありますから。
ご自身のご経験を踏まえて、受験生に勉強面のアドバイスをお願いします。
私はかつて家庭教師をやっていたんですけれども、生徒を見ていると、「一科目だけできない」という人に関しては、基本的に、本人に問題があるというより、その科目の教わり方との相性が悪いことが多いことを発見しました。だから、塾に通ってみて違う先生に教わってみたり、自分で教科書を読んだりしてみること、違った教材や視点で勉強してみることが非常に有効だと感じています。私も、高校2年生のとき世界史が苦手だったので、自分で教科書を読むようにしました。世界史ができないのはなぜかというと、今の先生の教え方との相性が悪いのかもしれない。自分で教科書を読んでみたらどうなるだろうかと考えてみたのです。教科書はさまざまな有識者がよく考えて書いたものですから、それを読むと理解しやすいと思います。
しかし、「全科目ができない」のであれば、それはまた違う原因があるのかもしれません。学生は1日の大半の時間をかけて勉強しているわけですから、「全く勉強ができない」ということは基本的に起こらないはずなんですね。私の限られた経験からすると、この場合は、勉強以外のところに原因があることが多いです。例えば、授業を聞いていないとか、ゲームをしすぎて寝不足になっているとか。
「授業に集中する」というのは難しく、同時に大事だと感じました。高校生であった頃、別に家に帰って復習すれば、内容は理解できるかもしれないけれど、それだったら授業に出席している意味は何なのかとよく考えることがありました。せっかく授業に来ているのだから、なぜ自分がその席に座っているのかということはしっかり考えることは今でも重要だと感じています。
私自身も、勉強に集中するためにさまざまな工夫をしています。まず、大学の授業のノートを取る際にはPCではなく紙のノートを使うように心がけています。PCを開くとどうしても気が逸れて、別のことをしてしまうんですね。だから、そもそもPCを開かないように心がけています。
あと、勉強中はメールやSNSやLINEなどスマートフォンの通知を切っています。そもそも、社会人でないかぎり、すぐに対応しなかったからといって何か問題が生じるような通知なんてほとんどないですよね。私は、スマートフォンをバックの奥深くにしまいこんで物理的に見れないようにして、見る時間を減らしたことによって、集中力が格段に上がったと実感しています。
私の場合はこんなふうに対応してますけど、皆さんも、ご自身のやり方で、集中するための工夫をしてみてください。
(編集部より)乾さんには、大学入学後に感じた「東大のリアルな魅力」や、大学でどのようなことに取り組んできたのかについてお話しいただいています。ぜひこちらもお読みください。
「豊かな人生」のための東京大学での学び
また、乾さんには、東大推薦入試に向けて実践した対策・受験当日のエピソードや、推薦入試を目指す方へのメッセージもいただいております。こちらも併せてお読みください。
何よりも、求められている人物像を把握しようー推薦入試を勝ち抜いた体験談
(取材・文章:中川天道)