うまくいかないことがあるのは当然。諦めずに前に進み続けることが成功への最短ルート。
2025.06.05
東大生たちが語る“東大を目指す理由”と“合格への道”――勉強法、受験での失敗談、そして合格後のリアルな学生生活まで。これから東大を目指すあなたに、合格までの道のりをリアルに伝えます。
東大に入ってよかったと思うことはありますか?また、それはどのようなタイミングですか?
私が東大に入学して本当に良かったと感じるのは、周囲に優秀で意欲的な仲間が数多くいることです。それぞれが異なる目標に向かって全力で努力しており、その目標や努力の基準の高さに、いつも刺激を受けています。
資格取得を目指す人、研究に打ち込む人、就職活動に精力的に取り組む人——進む道は違っても、皆が自分の理想を本気で追いかけ、その実現のため精力的に努力しているのです。
中でも特に印象に残っているのは、大学1年生の頃から公認会計士の勉強を始め、2年生の冬に短答式試験に合格した友人です。三大国家資格のひとつに数えられる公認会計士の短答式試験合格率は15%前後で、1年半で合格するのは、勉強に専念したとしても並大抵のことではありません。
しかし彼は、公認会計士試験のための勉強を、大学のフェンシング部の活動と両立させ、しかもそれを楽しんで取り組んでいました。彼の姿を見ていて印象的だったのは、勉強を「義務」や「苦しみ」としてではなく、「日課」あるいは「楽しみ」として自然に生活に組み込んでいたことです。
このような仲間たちと日々をともに過ごせることが、私にとって何よりの刺激であり、成長の原動力になっています。自分ももっと成果を出したい、周りのレベルに追いつきたい、そう思わせてくれる仲間たちに出会える環境こそ、東大の最大の魅力のひとつだと実感しています。
周りの東大生を見ていて、どのような人が多いと感じますか?
東大には、勉強熱心でありながら、いわゆるガリ勉タイプではなく、行動力のある人が多いと感じます。
「東大合格に必要なのは才能か、それとも勉強量か」といった議論はよくありますが、私が見るかぎり、東大合格者に共通しているのは、それら以上に勉強に対するスタンスなのではないかと感じます。
多くの東大生は、学習を単なる「お勉強」つまり机上の空論として捉え、つまらなさそうに取り組むのではなく、学習を実生活や自分の関心と結びつけて捉え、積極的かつ主体的に取り組んでいます。
東大のアドミッションポリシーには、次のような一文があります。
「入学試験の得点だけを意識した視野の狭い受験勉強のみに意を注ぐ人よりも、学校の授業の内外で、自らの興味・関心を生かして幅広く学び、その過程で見出されるに違いない諸問題を関連づける広い視野、あるいは自らの問題意識を掘り下げて追究するための深い洞察力を真剣に獲得しようとする人を東京大学は歓迎します。」
この方針は決して建前や理想論ではなく、実際にそのような人が多く東大に集まっていると、私は感じています。
興味や関心をもって主体的に学び、それを自分なりに深めていく――こうした姿勢こそが、東大生に共通する最も大きな特徴ではないでしょうか。
とはいえ、こうした話を聞いても、「それは綺麗事ではないか」と感じる方もいるかもしれません。
しかし、私はこれは綺麗事ではなく、むしろ実利のある、成績を上げるために必要不可欠なスタンスだと思います。
「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあります。また、「努力を努力と思わずに続けられる人が成功する」という話も、よく耳にする話です。これらはいずれも、学びを自分自身の興味や関心と結びつけ、自分の内側から湧き出るモチベーションで取り組めるようになったときに、最も力を発揮できるという事実を物語っています。
成績を上げるためには、逆説的に聞こえるかもしれませんが、「成績を上げること」そのものに執着するよりも、「勉強そのものを楽しむこと」が重要です。そして、勉強を楽しむためには、勉強を自分ごととして捉える必要があります。
そのためにも、先に述べたような学びへの主体的な態度――すなわち、知識をただ覚えるのではなく、自らの関心を起点に広げていく姿勢が欠かせないのです。

あなたが受験勉強の経験から得た学びが、大学進学後に生きたと思う場面について教えてください。
大学進学後、私は自分の英語力の低さを実感し、ショックを受けました。大学1・2年の授業で英語の文献に触れたり、英語でコミュニケーションをとる機会が多かったのですが、そこで自分の英語力が全く実用レベルにないことを思い知らされました。そこで私は、自分の英語運用力を高めるため、英語の勉強に取り組みました。目標に掲げたのは、英検1級とTOEIC満点という高いハードルです。最初は「本当に達成できるのだろうか」と不安を感じながらのスタートでしたが、半年間計画的に学習を進めた結果、最終的にその目標を達成することができました。
この経験を通じて感じたのは、「受験を通じて培った勉強の習慣と集中力が、確かに自分を助けてくれた」ということです。高い目標を掲げるだけなら簡単ですが、それを本当に達成するためには、日々の積み重ねを大切にし、自分を律して学び続ける力が必要になってきます。そのような地道な学習を続けなければ、求める成果に到達することはできません。それは簡単なことではなく、最後まで成し遂げられるか不安になるときもあります。
しかし、受験期に「高い目標を設定し、それに向かって継続的に努力できた」という事実が、挑戦しようとするときに大きな自信を与えてくれます。だからこそ、高い目標であっても、臆することなく挑戦することができるのです。
大学に入ってからはもちろん、社会に出てからも、新たに何かにチャレンジする場面は数多くあるでしょう。そうしたときに、受験期に高い目標に向かって努力を続けた経験は、間違いなく将来の皆さんを支える土台になると思います。
余談にはなりますが、大学進学後に腰を据えて英語を学び直したことは、非常に有意義だったと感じています。やや曖昧になっていた文法理解や、英文解釈の方法をより明確に整理しなおすことができたので、現在講師として受験生に英語を指導するうえでとても役立っています。
あなたが受験生時代に、実践していたこだわりの学習法があれば教えてください。
私が受験生時代に特に意識していたのは、「アウトプットの機会を意識的に増やすこと」でした。
というのも、インプットばかりに偏った学習では、知識がなかなか定着せず、「勉強はしているのに成績が伸びない」という事態に陥りがちだからです。
たとえば、教科書を何度も読み返すことはメジャーな勉強方法ですが、それだけでは限界があります。
何度も読んでいるうちに文章が頭に入らなくなってきたり、「理解したつもり」でも、いざテスト本番になると答えが出てこなかったり……そんな経験はありませんか?
一方で、テストが終わったあとに解き直した問題や、自分が間違えた箇所の正しい答えは、なぜか強く印象に残ることが多いと思います。
これは、アウトプット(=テストなど)を経験したあとに再びインプットすることで、記憶に残りやすくなっているためです。
つまり、知識が本当に定着するのは「アウトプットのあと」なのです。
実は、これは私が考えたことではなく、効率的な学習法についての書籍を読んだ際に知ったことです。
これを踏まえ、私は普段の学習の中で「学んだことをアウトプットする」ことを重視していました。
例えば、世界史の勉強では、次のような工夫をしていました。
まず教科書を一通り読んだあと、早い段階で問題集に取り組みます。問題を解くこと自体がアウトプットであり、自分の理解度を確認し知識を定着させる良い機会になります。
問題集を解き終えたら、今度は白紙に、歴史の流れや重要語句を1から思い出しながら書き出してみます。
このプロセスを経たあとに再度教科書を読み直すと、それまで見落としていた情報や歴史的なつながりが自然と頭に入ってくるのです。
このように、アウトプットを意識して学習に組み込むことで、理解が深まり、知識も確かなものになったと実感しています。
この「アウトプット中心の学習」は、私が現在、講師として受験英語を指導する際にも意識していることです。
アウトプットを前提に学習に取り組むことで理解が深まるので、文法の単元を扱うときなどに、私が生徒に説明をするだけではなく、逆に生徒自身に説明をしてもらう、という形式を積極的に取り入れています。
受験生時代の勉強の方法に反省点はありますか?あなたが今受験生時代に戻ったなら、どのように受験勉強をやり直しますか?
受験生時代の反省点として、私が強く感じているのは、「もっと計画的に学習を進めるべきだった」「もっと学習の目的を意識するべきだった」ということです。
計画的に学習を進めるというのは、そのままの意味です。本来、勉強というのは最終的な目標(試験本番で何点取りたいのか、そのためにどの分野をどのレベルまで仕上げればよいのか)から逆算して進めるべきものです。しかし、当時の私は、目標から逆算した学習スケジュールをしっかり意識することなく、勢いだけで勉強していた部分がありました。その結果、数学に関しては、全範囲を十分に学習し終えることができないまま本番を迎えてしまい、試験で思うような点数が取ることができませんでした。入試1日目、数学の試験が終わった後には本当に悔しい気持ちでしたし、計画的に勉強しなかったことを強く後悔しました。
次に、「学習の目的を意識する」という点についてです。
いま振り返ると、「何を学ぶのか」「それによって何ができるようになりたいのか」という目的を明確に意識した上で学習に取り組んでいれば、もっと効率的に力を伸ばせていたと思います。当時の私は、目的を忘れ、ただ目の前の課題に取り組むことに自己満足してしまっていたのです。
たとえば、英単語の学習を例にとってみましょう。「英単語の学習に取り組む」と一言で言っても、そこにはいくつかの段階があります。
最初の段階では、「見覚えのある単語を増やす」ことが目標です。まったく知らない単語に対しては、脳がその単語の意味を覚える準備すらできていないからです。次に、「単語の意味をしっかり覚える」段階が来ます。多くの人がイメージするのはこの段階かもしれません。
しかし、それだけでは不十分です。最終的には、「その単語の意味に素早く反応できるようになる」必要があります。英文を読む際、単語の意味を思い出すのに何秒もかかっていては、スムーズな読解はできません。
このように、一見ひとつに見える学習にも複数の段階があるという認識を持ち、それぞれの段階における到達目標を明確に意識することが大切なのです。このことにもっと早く気づいていれば、当時の私の学習はずっと質の高いものになっていたはずです。
これから受験勉強を本格的に始める皆さんには、ぜひ「目的を意識した計画的な学習」を心がけてほしいと思います。それが、努力を結果につなげるもっとも確実な方法だと、私は実感しています。
ちなみに、この単語学習の話は、「記憶の種類」という観点とも深く関わっています。記憶には大きく分けて三つの種類があり、「エピソード記憶」「意味記憶」「手続き記憶」に分類されます。このうち、学習の場面で特に重要となるのは「意味記憶」と「手続き記憶」です。
もちろん、意味記憶――すなわち知識としての記憶――が重要であることは言うまでもありません。しかし、それだけでは十分とは言えません。知識を記憶している状態と、それを自在に「使いこなせる」状態とでは、大きな違いがあります。知識を使いこなすためには、それを自分の血肉とする必要があります。ここで重要になるのが「手続き記憶」です。
手続き記憶とは、いちいち意味を意識することなく、まるで決まった手続きを行うかのように、スムーズに知識を再現・活用できる状態を指します。たとえば英語で “I am a student.” のようなごく基本的な文であれば、文法知識を一つひとつ思い出さなくても、自然に意味を理解できるはずです。これは、その知識が手続き記憶として定着していることの表れです。
このように、知識を本当の意味で使いこなせるようになるためには、単なる意味記憶にとどまらず、それを自動的に再現できる「手続き記憶」の段階にまで定着させることが必要なのです。
受験生時代に意識していたことや、大切にしていた考え方を教えてください。
私が受験生時代に大切にしていたのは、「毎日少しずつでも勉強を続けること」でした。
皆さんの中には、「東大合格には膨大な勉強時間が必要だ」という考えがあり、それがプレッシャーになって追い込まれてしまっている人がいるかもしれません。実際、その考えは正しいとは思います。1日に必要な勉強時間は人によって異なりますが、やはり自分を追い込んで、必要な時間を確保することは共通して求められます。
ただし、ここで注意したいのは、「十分に勉強できない日には、少しだけ勉強したとしても意味がない」といった完璧主義的な考え方です。
「今日は時間がないからやらない」「集中できそうにないから明日まとめてやろう」――このような発想が積み重なると、学習のリズムが崩れ、結果的に勉強が習慣化しづらくなってしまいます。
大切なのは、「少しでも毎日やること」です。
極端な話、たった1秒でも机に向かえば、ゼロよりは確実に前進しています。
たとえ短時間でも、日々継続することで学習が生活の一部になり、勉強へのハードルが自然と下がっていきます。
勉強を「習慣」に変えるために必要なのは、最初から多くの時間を確保することよりも、「とにかく毎日やる」というシンプルな姿勢なのです。
勉強がどうしても続かないと感じている方は、まずは短い時間から始めてみてください。毎日の積み重ねが、やがて大きな成果へとつながっていきます。

最後に、受験生に向けたアドバイスをお願いします。
受験生の皆さんに、私が何より伝えたいのは、「とにかく諦めないでほしい」ということです。
最終的に東大に合格した人たちも、ずっと順風満帆に学習を進めていたわけではありません。成績が伸び悩んだ時期や、思うようにいかず挫けそうになった経験は、誰にでもあります。
重要なのは、そうした壁にぶつかったときに、どう向き合うかです。失敗やつまずきを「自分はダメなんだ」と捉えて落ち込むか、「失敗も成功への過程の一部だ」と前向きに捉えるかで、その後の成長は大きく変わります。
私は、東大に入る前、東大という存在をどこか神格化していました。「東大に合格する人は全員、連日の長時間勉強を全く苦にしない超人的な体力と、学んだことは一度で覚えるような抜群の記憶力を持っている」と思い込んでいたのです。
たしかに、そういう“化け物級”の能力を持つ人も中にはいます。しかし、そういう人はごく一部にすぎません。東大合格者のほとんどは、このような「天才」ではない自分自身にときとして劣等感を覚えながら、それでも自分を認め、自分にできる努力を地道に重ねて合格をつかみ取った人たちです。
今、この記事を読んでいるあなたがもし、「自分に東大合格は無理かもしれない」と不安になっているとしたら、まず伝えたいのは、「完璧な受験生はどこにもいない」ということです。
誰にでも得意・不得意があります。大切なのは、自分の強みに気づき、それを最大限に活かすこと。そして、苦手な部分に対しては粘り強く向き合うことです。
東大合格者に共通するただ一つのこと、それは「最後まで、あきらめなかった」という点です。
受験勉強は決して楽な道ではありません。けれど、苦しみながらも歩んだ日々は、必ず自分の力になります。どうか一歩一歩を大切に、つまずきながらでも前を向いて歩き続けてください。
最後まで、あなたを応援しています。
斎藤 匡洋