第2回 出典:
東京大学前期 2009年 化学 第1問Ⅰ
皆さん、こんにちは。いよいよ勝負の夏休み! 根を詰めて勉強した後の一息に、この記事へ足を運んでもらえれば幸いです。
「空はどうして青いのか」――身近にある疑問の中でも結構ポピュラーなものだと思いますが、これについて実際に自分で調べてみたことがある人はどのくらいいるのでしょう。実際にはそんなに簡単な話ではありませんが、こういうことに自分から興味を持ち進んで調べてみようとする姿勢が難関大合格への原動力のひとつではあると思います。そういう興味をくすぐるという点で、東大入試は問題文ひとつ取っても非常に面白い。例えば2009年の化学第1問Ⅰは次の段落から始まります。
夜空に浮かんだ火星が赤く見えるのは,火星の地表に赤鉄鉱という鉱石が多量に含まれているからである。赤鉄鉱は酸化鉄(Ⅲ)Fe2O3を主成分とし,鉄が酸素や水と反応することによって生成する。2004年,米国の火星探査機オポチュニティは,火星の表面から採取した岩石の顕微鏡観察を行ない,液体の水の作用でできたと考えられる球状の赤鉄鉱を発見した。また,探査機スピリットによって火星の地表で針鉄鋼という鉱石も見出された。針鉄鋼は酸化水酸化鉄(Ⅲ)FeO(OH)を主成分とし,水中での化学反応により生成する。このような発見から,かつて火星には液体の水が存在し,生命誕生の機会があったと推測されている(*脚注)。
(*脚注) 2008年、米国の探査機フェニックスは,火星の地表のすぐ下に氷が存在することを確認した。
※引用元:東大入試2009年化学
この次の段落から問題の本筋が始まりますが、内容に火星がそれほど絡んでくるわけでもなく、また上の文章を読まなかったからといって特に困るわけでもなく、メインテーマは“鉄の酸化”。その導入の為だけにこんなにも人をワクワクさせるような問題文を書いてしまうところが、地味かもしれませんが東大入試の持つ絶大な魅力のひとつだと思っています。他に入試問題でこうも“遊んでいる”大学はそうそうありません。ただ東大入試の理科は時間との勝負なので、試験時間中にこんなところをじっくり読んでいる暇など到底無いのですが……。
「空はどうして青いのか」――ざっくり説明すれば、空気中の窒素や酸素が太陽光の中の青く見える波長の光を主に散乱するため、空には青い光ばかりが目立つことになるから、というところでしょうか。詳しく調べれば“レイリー散乱”という言葉を目にすることになると思います。そして夕焼けが赤いのは、太陽までの距離が遠くなることで太陽光の中の青い成分が自分の元に届くまでに殆ど散乱されてしまい、残った赤い光ばかりが目立つことになるからです。逆に火星の大気中には件の赤鉄鉱が塵として舞っていて、それが赤い波長の光を主に散乱するので火星の昼空は赤っぽく、夕焼けは青いという話も聞きます。インターネットなどで検索して青い夕焼けを見てみるとなかなか感動するものがありますが、そんなに難しく考えずともそもそも赤い赤鉄鉱が空を舞えばそりゃあ空は赤くなりますし、公開された画像自体加工されたものだと唱える人までいて意見は様々あるそうで、我々庶民にとっては火星はまだまだ遠い存在のようです。
虹やプリズム、花火をはじめ、見た目の華やかさと科学的ロマンの交差点に幅を利かせる“色”――もう少し広く言うと“光の波長”という話題ですが、最先端の科学・化学では、様々な波長の光が見て楽しむ以外に重要な役割を担っています。今回はその中でも“分光法”というものを紹介します。
高校の原子物理で扱う内容ですが、光はその振動数に比例し波長に反比例するエネルギーを持ちます。「ブルーライトが目によくない」などと最近言うのも、青という波長の短い光には他よりも沢山のエネルギーが含まれているからだということです。そのエネルギーは我々の生活からすればそれほど大きなものではありませんが、原子・分子レベルでは光の照射によって加えられるエネルギーで様々な変化が起こります。
具体的には、例えば結合の振動状態の変化が挙げられます。原子同士の結合の様子は 2 つの物体がばねで繋がれた状況でよく近似できるのですが、ここに一定の周期で力を加え激しく振動させようと思った場合、用いる物体とばねに合わせその周期をうまく調節する必要があります。感覚的にはブランコを思い浮かべてみるとわかりやすいでしょう。ブランコを大きく揺らすには重心をタイミングよく移動させねばならず、適当に漕いでいるだけではブランコは殆ど揺れませんね。ばねの振動もこれと似たようなもので、今は扱いませんが微分方程式を使えば数式でも理解することができます。波動である光を分子に照射するというのはまさにばねで繋がれた物体に一定の周期で力を加えるようなものですから、分子の振動状態はその結合に固有の波長の光を照射したときにのみ変化し、そのために光が分子に吸収されます。この性質を逆手にとれば、様々な波長の光を未知の分子に照射していき、どの光がよく吸収されたかを調べればその分子の構造が明らかになるというわけです。
このように、物質が特徴的な性質を示す光の波長を調べる事でその物質を解析する技術を“分光法”と言います。化学結合の振動では特に赤外線の波長の領域が活躍するため、赤外線を用いて有機化合物の官能基などを調べる方法も取られますが、これは“赤外分光法”と呼ばれます。光を照射することによる分子の変化は電子状態の遷移をはじめ他にも様々であるので、その波長帯・原理に応じ赤外分光法以外にも多様な分光法が存在します。高校で馴染み深いものだと炎色反応を調べることも分光法のひとつで、これは“発光分光法”というものに分類されます。
以上、分光法についてでした。分光法は試料の解析の方法として強力な武器であり、現在でも物質の特定や物質の構造の決定に第一線で活躍しています。物質の正体を分析することは単に物性の研究に役立つだけでなく、それこそ東大入試が教えてくれたように火星の遍歴を知ることにも繋がってきますし、そう考えていくと皆さんが今学んでいる化学の知識の先にどれほどの可能性が秘められているか見当もつきませんね。
そういうわけで、受験勉強の中で得られる知識は、皆さんが未来を拓く上での礎になります。とは言え、「空はどうして青いのか」――こんな身近なことさえしっかりとは説明できないほどに、高校で学ぶ知識は狭く世界は広いです。未来を拓く鍵となる知識は勿論受験勉強の中にも沢山転がっていますが、それ以外のところにも興味を持って、是非色々調べてみてほしいものです。大学とは、東大とはそういうことができる場所だと思いますし、このA級紙だって微力ながら様々な話題をお届けしていきますよ。次回もよろしくお願いします!
2013/07/12 石橋雄毅