受験数学の参考書は、教科書的な単元で問題を分類して解説していることが殆どです。しかしながら、東大入試レベルの数学で問われるのが“単元ごとの達成度”なんて程度の低いものではなく、それらを有機的に結び付けて自在に駆使するに足る“高校数学の本質的な理解度”だというのは東大入試を見れば明らか――
アドミッション・ポリシーにも「数学的に思考する力」「数学的に表現する力」「総合的な数学力」と明記されています。ここに重点を置いて執筆されたのが本書『入試数学の掌握』。入試数学を“単元”ではなく“テーマ”別にまとめあげた大著です。本書は全 3 巻・計 8 つの章からなりますが(2015 年 1 月現在)、以下のタイトルを一通り見るだけでも他の問題集との違いが伺えるでしょう。
Theme 1 全称命題の扱い・・
Theme 2 存在命題の扱い・・
Theme 3 通過領域の極意・・
Theme 4 論証武器の選択・・
Theme 5 一意性の示し方・・
Theme 6 解析武器の選択・・
Theme 7 ものさしの定め方・
Theme 8 誘導の意義を考える
各 Theme には 4~11 問の例題が用意されていて、各問をそれぞれ 1 節丸々使って解説、節の最後に『CHECK!』という形で類題を配置――というのが基本スタイル。この例題の解説が尋常でなく濃厚で、問題の考え方から考え方の原則、数学が得意な人が問題を解決に導くまでの思考の過程についてまでが、1 問につき 5~10 ページ前後、長い時には 20 ページを超えるレベルで展開されます。著者の近藤至德先生は東大理Ⅲと京大医学部のどちらにも合格したことがあるという稀有な経歴の持ち主で、鉄緑会での指導経験をもとに書かれた内容が懇切丁寧なのも相まって、この解説には高校数学への立ち向かい方が比類のないほどよくまとめられていると言えます。
しかしながら、本書は“東大理Ⅲ・京大医学部・阪大医学部”を目指す受験生が、入試で数学を“武器にする”レベルにまで達することを目標として書かれた本であるため、内容は超高級。『本書の利用法』には「君がある程度の演習を積み、そこそこの定型問題が解けるようになっていないのならば、この本はそっと本棚に戻してください(笑)」と書いてありますが、東大を目指すレベルで“数学が得意”な人でも、この本をマスターする必要性は“余力があったら”程度でしょう。
ただしこれは“マスターする”必要性であって、本書は部分的に“かじる”使い方でも十分有用であると思います。特に、ある場面に直面した時にまず思い浮かべるべき選択肢をまとめた〈鉄則〉。例えば 1 巻 77 ページから大枠だけ抜粋すると、
〈鉄則〉 ―離散変数の最大・最小―
離散変数(整数変数)関数 の最大・最小問題は,
① ……
② ……
のいずれかに従うのが基本であるが, が常に正という保証があるならば,
③ ……
というのが利口な手段。
といった感じで、考えるべき候補が分かりやすく、かつ内容的にもかなり的を射たスマートな形で並べられています。これを一通り見て理解できるものを覚えてしまうことは、自身の数学力向上に一役も二役も買うことでしょう。勿論、その原理はどういうことなのかとか、問題を解く上でどのように運用するものなのかといった、“普通の問題集に載っているようなこと”は知っているものとして書かれているので、最低限の学習を終えている必要はあります。一通り手の動かし方を学んだ後で、それを体系的に整理するための参考という形での利用法と思ってください。
各巻の巻末には付録として、1 巻・3 巻には『足腰の鍛錬のために』と称された基本事項の根幹のお話が、2 巻には『東京大学理系前期模擬演習用解答用紙』が設けられています。前者は基本事項とは言うものの、“必要条件・十分条件”や“正射影ベクトルの活用”、“有名不等式の役割”など、どれも高校生がよく理解に苦しむ、ツボを押さえたラインナップになっていて(数学を教えたことがある人ならよくわかることでしょう!)、主にそれらのイメージを養うためのお話が見開き 1 ページに丁寧に書かれたものです。後者は、まあ当サイトにも
用意があるんですけど……………………毎回コンビニでA3コピーする前提なら良いかもしれませんね!(これが精一杯)
改めてこの本をどんな人に薦めるかですが、まずは当然
東大理Ⅲ・京医・阪医受験生で数学を武器にしたいと言えるレベルの人。標準的な演習を終えた後適当な難問集に手をつけるよりは、本書の方が頭の中を整理するのに役立つと思います。また、
数学の学習を一通り終えてなおそのレベルに達していなかったとしても、自分の手に負える箇所・負えない箇所を正しく見極められる自己分析力に自信のある人。“せっかく買ったんだから全部マスターしなきゃ勿体ない!”なんてケチなことを言っているようでは間違いなく、本書のあまりの難しさに溺れることになるでしょう。だったら買わない方がマシです。書店で立ち読みしてみて、部分的に使えるところを拾って身につけるだけでも値段に見合った価値を見出せると感じられるようであれば、“買い”なのではないでしょうか。
ちなみに著者の近藤先生は、本格的に医師になるための準備を始めるため今では受験業界から足を洗っており、本書は引退の記念にと残されたものです。つまり、先生が他の入試数学参考書を出すことはおそらくもう二度とありません。また、本書は入試数学界のトップレベル講師から高く評価されている一方でエール出版社からの本なので、版を重ねて何年も受け継がれるような性質のものにもおそらくなりません。本書がまだ書店に並んでいるうちに入試数学の高みに足を踏み入れられた人・踏み入れようとする人は、どうかそのチャンスを棒に振ってしまわれぬよう。
2015/1/23 石橋雄毅